『爪を合計25個差し出さないと出られない部屋』

約6,800 文字(読了目安: 約15分)


目が覚めると知らない部屋に横たわっていた魅音と詩音は、警戒心を高めながら脱出を試みるもそれは叶わず、その部屋のあちこちを調べ始める。やがて詩音が自分たちの置かれた状況に気づき……。


Twitterフォロワーのアザレアさん(https://twitter.com/AzareaDesu)のツイートをもとに書かせて頂いた作品です。





 途絶えていた意識がふぅっと浮上し、魅音は目を覚ました。いけない、なんだか長い時間眠ってしまっていたみたい――。そう思いながら上体を起こして周囲に目をやる。視界がはっきりとしてくると、そこはマンションの一室のようであることがわかった。しかし、興宮にある詩音のマンションの部屋ではなく、魅音のまったく知らない部屋だった。広いリビングに敷かれた高級感のあるふかふかのカーペットの上に魅音は横たわっていたのだった。


 自分の背を振り返り、魅音ははっとした。隣には詩音が先ほどまでの自分と同じように横たわっている。魅音はすぐさま彼女に手を伸ばして、その肩を揺すった。


「詩音、起きて。起きてよ詩音」


「んんー……?」


 詩音はうるさいなあ、という風に顔をしかめて唸り声を上げる。


「ここ、知らない部屋だよ。のんきに寝てる場合じゃないよ」


 魅音は既に少し焦りを感じていた。気がついたら知らない部屋に詩音とともに放り込まれていた。それは異常な事態であることは間違いなかった。


「んもー……お姉はうるさいですねえ……せっかくこんなふっかふかの絨毯の上でお昼寝してるのにー……」


 詩音は起き上がりながら間延びした声で魅音に抗議する。寝ぼけているのか、自分の置かれている状況がまだよくわかっていないようだった。


「こんな知らないところですやすやお昼寝なんかできないでしょーが! ちょっとこの部屋よく見てみてよ。ここ、詩音も知らない部屋でしょ?」


 魅音の言葉を受けて詩音は眠そうな目をこすりながらあたりを見回す。


「……うーん、確かに見覚えのない部屋ですね。私のマンションの部屋の何倍の広さです?」


 二人が横たわっていたカーペットの上から見えるものは、まず近くに大型のテレビモニターが一台。カーペットから外れた位置のフローリングの上に四人掛けのダイニングテーブルセットが一つ。冷蔵庫や電子レンジなど家電製品の置かれたキッチンもあり、別の部屋に続くと思われるドアも一つ見られた。そして遠くの方のやや暗がりの奥に玄関のような扉も見られた。


「やっぱり詩音も知らない部屋なんだ。そうと決まれば早くここを出よう。あっちに玄関があるみたいだから……って詩音?」


 魅音は喋っている最中に、詩音が顎に手を当てて神妙な顔つきで何か考え込んでいることに気づいた。


「ああ……いえ。……ものは試し、ですね。あの玄関のところまで一緒に行ってみましょう。これだけ広いと、私たち以外に誰かいないとも限りませんから」


 そう言って詩音はいつもの黒いタイトスカートのポケットからスタンガンを取り出した。魅音も気を引き締めてその場に立ち上がる。二人がいたリビングから玄関までは廊下で繋がっていた。暗がりに見えたのは廊下の電気が付いていなかったからで、リビングと廊下の境目に電気のスイッチを見つけた魅音がぱちりとスイッチを押すと、そこはリビングと同様に明るくなった。


 廊下を進んでいくと、廊下の壁にまた一つ扉があったので念のため開けてみると、そこは脱衣所のような場所で、水回りの空間であることが伺えた。


 玄関のドアの前に二人は辿り着いた。詩音のマンションの玄関と構造にあまり変わりはないようだった。だが、このドアには鍵が付いていない。何か嫌な予感がしながらも、詩音が後ろで見守る中、魅音はドアノブに手をかけて、右に回すと――。


 ガチャンッ。ドアは開くことはなく、冷たい金属音が鳴るだけ。魅音はそれでもノブを回しながらドアを押したり引いたりしてみた。けれど、その玄関ドアはガチャガチャと音を立てるだけでびくともしない。


「……ああ、やっぱり開かないんですね。やれやれ。お姉、これは相当厄介な部屋に放り込まれましたよ、私たち」


 どういうこと、と魅音が聞き返すよりも先に詩音は踵を返して廊下をリビングの方へと歩いていった。魅音もその後を追う。詩音はそのままリビングにある、別の部屋に続くと思われるドアの前に立ち、静かにドアを開けた。そのドアはすぐに開き、魅音が詩音の肩越しにその中を覗くと、そこは大きなベットが二つある寝室のようだった。


 詩音は何も言わずにドアを閉め、そのままキッチンへと向かった。魅音もあとに続く。詩音が冷蔵庫を開けると、中には肉や野菜などの食材と、すぐに食べられるような出来合いの食べ物がぱんぱんに詰められていた。冷蔵庫の扉を開け放ったまま、詩音はキッチンのシンクに近づく。水道の蛇口をひねると、ジャアッと勢いよく水が流れ出てきた。


「……お姉。こういうの、知ってます?」水道から水の流れ落ちるさまを見つめながら、詩音は言った。「部屋の中に窓は一切なし。外部と繋がっていると思われる扉……玄関と言える場所が一つ。部屋には食料や家電が揃っていて水道も電気も使える。寝床もある。水回りもある。私たちはここを出なくてもここで生活することができる」


「それって、どういう……」


 魅音がそうつぶやくと、詩音は蛇口をきゅっと締めながらにやりと笑った。


「たいていは……ふふっ、そうですね。お姉が私を抱いてくれたら、この部屋の外に出られるんじゃないでしょうか。ほら、さっきの寝室で」


「だっ……!?」魅音は一瞬で顔を真っ赤にする。「だだだだだっ……抱くってなに!? わわわ私が!? 詩音を!? ままま、ますます訳が分からないんだけど……!?」


「いえ、逆でもいいんですよ? ふふふっ。つまり、漫画なんかでよくある"セッ○スをしないと出られない部屋"というやつです」


「は……? いや……なにそれ?」


 魅音は依然として顔を赤らめたまま、ぽかんと口を開けて目をぱちくりとさせる。


「ありゃ、お姉は知らないんですか? まぁ名前の通りの部屋です。気がついたら知らない部屋に放り込まれていて、とある条件を満たさないと外に出られない仕組みになっている。その条件っていうのがだいたいいかがわしいことだったりするんですよねー。私が見たことある作品では、確か張り紙か何かでその条件が提示されてたんですけど……」


 そう言って詩音があたりをきょろきょろと見回していると、突然リビングの方からブゥンッという重低音が聞こえた。音のした方に目をやると、真っ黒だったリビングの大型テレビモニターの画面に何かが映っているのが見えた。詩音と魅音が連れ立ってその画面を見に行ってみると、そこに表示されていたのは――。


「えっと……つ、爪を合計……」


「25個……差し、出せ?」


 これが、私たちが"外に出るための条件"?


 ふたりはその場に凍り付いたように固まって、動けなくなってしまった。





 "爪を合計25個差し出せ"という自分たちに課された条件を目にして、魅音も詩音もしばらくその場を動くことはおろか、言葉を発することすらできなかった。


 ただでさえ重いその条件はふたりにとってあまりに残酷なものであった。魅音の脳裏には昨年、昭和57年の6月に園崎本家の地下祭具殿で自分が園崎家次期当主の立場で詩音に"けじめ"を取ることを指示し、後に自分も詩音と同じだけの痛みを分かち合ったあの記憶が一瞬にして蘇っていた。形は歪だけれど既に新しい爪が生えてきている指先が、ひりっと再び痛み出すような錯覚にとらわれ、思わずもう片方の手で指先を包み込む。


 詩音も、きっと――。魅音は詩音の顔を盗み見ると、彼女は苦虫を噛み潰したような顔でテレビの画面の文字を見ていた。


「……なっ、なんなんですかこれは……悪趣味にも程があると思いません? 何かの冗談ですよね?」


 詩音は魅音の方には目を向けず、テレビの画面を睨みつけたまま吐き捨てる。魅音も再びテレビの画面を見ると、その悪趣味な条件の下に備考として何か別の文章が書かれていることに気づいた。


「道具は……ダイニングテーブルの上の……黒い箱の中に……?」


 文章を読み上げて、魅音はダイニングテーブルを振り返る。テーブルの上には文章の通りにどこか禍々しさの漂う大きな真っ黒の箱が置かれていた。あの時、詩音と自分が"けじめ"に使った器具と同様のものが中に入っていると言われても納得できてしまうようなサイズ感だ。


 今度はその黒い箱を見つめて魅音と詩音は押し黙ってしまう。詩音はいま、どんな気持ちでいるのだろう。魅音は禍々しい黒い箱に視線を注いだまま、隣にいる詩音の心情を慮った。きっと、自分より重く辛い気持ちを抱えているに違いない。


 あの時と同じだ。詩音は、私なんかよりもっともっと、苦しかったんだよね。それなら、私は。魅音はひとつ深呼吸をして、言葉を発した。


「詩音、あのさ。爪、私が20枚用意するから。その……残りの5枚分はどうしようもないから……それは、ごめん。だから……」


「ちょっと! アンタそれ本気で言ってんですか!?」


 言葉を続けようとした魅音は、語気を荒げた詩音の声に遮られる。けれど、魅音は負けじと言葉を返した。


「だって……! 本当なら詩音には1枚だってこんなことしてほしくないよ! 私だけで済むなら私だけ剝がして終わらせたい! こんなのあんまりだよ! こんなのって……」


「はぁっ……お姉がここまで馬鹿だとは思いませんでした」詩音は苛立ちを隠せず髪を無造作にかき上げた。「お姉。そんな一方的に決めて、その通りにして、それで私が喜ぶとでも思ったんですか? そういう自己犠牲の精神はいらないです。相手は私ですよ? お姉が差し出すのと同じ数だけ私だって差し出します。お姉だって去年、そうしてくれたじゃないですか」


「詩音……」


「つまりアンタが20枚剥がすというなら、私も20枚剥がすということです。これで自分が何を言っているのか理解できましたか?」


「……わかったよ。ごめん」


「別に謝らなくてもいいですけど」


 魅音が俯きながら謝りの言葉をつぶやくと、詩音はまだ苛立ちが収まらないのかそっけなくそう返した。


「でも25枚……嫌な数字だね。どちらかは1枚だけ多く剥がすことになる」


「お姉、いまの私の話聞いてました?」


「ふぇ?」


 魅音は間の抜けた声を出す。詩音はため息をついた。


「だから、私はお姉と同じ数だけ剥がすって言ってんですよ。最低で25枚、あればいいということでしょう?」


「そんな……わざわざ余計に剥がすなんて、そんなことしなくていいよ。1枚くらい私が……」


「嫌です。じゃあこうしましょう。私は13枚剥がします。これはもう決定事項です。あとはお姉が25になるようにして下さい」


「……詩音の馬鹿。それはずるいよ」


「一人で20枚なんて言い出したお姉には言われたくないですね」


 そこで会話は途切れ、魅音は少し考え込んだがすぐに口を開いた。


「……わかったよ。私も13枚剥がすから」


「決まりですね。こんなこと、さっさとやっちゃいましょう。……あ、でも途中で気絶しちゃったらどうしたらいいんですかね」


 そんな詩音の言葉を聞きながら、魅音は先ほどから脳内の片隅で感じていた違和感の正体をもう少しで掴めそうで掴めずにいた。この黒い箱の中身の予想はつく。だからなかなか開けることができないでいる。けれど、自分たちが何者かに騙されているような、どこかおかしなこの感覚。これはただの自分の思い過ごしなのだろうか。


 とにかく、私たちが次にすべきことはこの禍々しい箱を開けること――。魅音はおそるおそる箱に両手を掛けた。


「箱、開けるよ……」


 そう言って魅音は静かに黒い箱の蓋を持ち上げる。詩音も息を呑んでその様子を見守る。中に入っていたのはやはり大きな器具……ではなく、魅音は一瞬空箱かと思ってしまったのだった。物々しい器具は見当たらず、目を凝らすと箱の中の中央にちょんっと、家庭でよく見るとある"ちいさな器具"が鎮座していただけであった。


「……へ?」


 魅音はそれしか口に出すことができなかった。詩音も箱の中を覗き込む。


「……あの、これはいったい……」


 箱の中に収められていたのは、ただの"爪切り"であった。何の変哲もない、家庭用の爪切りがひとつ。魅音はそれと隣に置かれていたメモ用紙のようなものを箱の外へと取り出す。メモには"爪は器具の入っていた箱の中に投げ入れよ。一ミリ四方以上の大きさがあれば一個とみなす"と書かれていた。


 魅音と詩音はお互い顔を見合わせて、まずははぁーっと大きなため息をついた。そして再び目が合うと、どちらからともなくぷっと噴き出し、ふたりは大声を上げて笑い始めた。


「あははははっ、あははっ……な、なにこれ! 爪ってそういうことでいいの!? いやー、完全にやられたよ、これは!」


「はぁーっ……完璧に騙されましたね。まったく、本当に悪趣味極まりないです。あーあ。昨日爪切ったばかりなんですよ、私。深爪になっちゃうじゃないですか」


 そんなことを言い合いながら、ふたりは並んでダイニングテーブルの椅子に腰掛ける。明るい声を部屋中に響かせながら、ひとつの爪切りを使ってふたりは爪を合計25個用意し始めたのだった。





「これで13個目……っと。はい、切り終わりましたよ、お姉」


「えー? 深爪ならそんな無理しなくてよかったのに」


「さっき言ったじゃないですか、私は13個差し出すって。私は有言実行の女ですから」


「まったくもー、頑固なんだから」


 先に爪を切り終えた詩音から爪切りを受け取った魅音は、自らの爪もぱちん、ぱちんと切り落としていく。先ほどまでの緊張しきった心身はすっかり緩んでいた。無事にこの部屋を出られたら、今日はこのあと何をしようか。そんなことを考えるくらいの余裕が出てきていた。


「お姉、いま何個目ですかー?」


「うーんと、これで25個目だよ。だからあとひとつ」


「ふふっ。お姉も人のこと言えないじゃないですか」


「だって……その、私たちは半分こ、だもん」魅音は最後のひとつ、"26個目"の爪を箱の中に投げ入れた。「そうでしょ? ……お姉ちゃん」


 そう言って魅音は隣に座る"姉"に向かって、にっこりと笑って見せる。自分に向けられた隣の"妹"のあどけない笑顔があまりに眩しくて、詩音は思わず顔を背けてしまう。まったく、不意打ちにも程がある。心臓に悪いったらありゃしない。心の中で悪態をつきながら、それでも詩音は胸の中にあたたかいものを確かに感じていた。


「さ、さて。これで玄関の扉、開くはずですよね。こんなところ、さっさと出ましょう」


 詩音はがたっと音を立てながら椅子から立ち上がり、つかつかと廊下に向かって歩き出す。魅音もその後に続き、ふたりは再び玄関ドアの前に立った。今度は詩音がドアノブに手を掛けて回すと、その手応えは軽く、そのまま静かにドアを押すとドアの向こう側の空間が顔を覗かせた。


「やった! 開いたよ、開いたよ詩音!」


 詩音の後ろで魅音が歓喜の声を上げる。詩音はそのまま大きくドアを開いていく。そこは詩音のマンションの廊下に非常に酷似した場所であった。ここがどこなのか、そして雛見沢や興宮に帰るにはどうしたらいいのか、といった疑問の前に、ふたりは部屋の外に出られた喜びの方が大きく、マンションの廊下らしき場所を軽い足取りで駆け出していた。


「やっと出られましたね。はあ、安心したらなんだかお腹が空いて来ちゃった。お姉、興宮に戻れたらエンジェルモートに寄ってチーズケーキでも買って行きませんか? 私の部屋で食べましょうよ」


「あっ、いいね、それ。おじさん今日はタルトも食べたいなあ。ねっ、チーズケーキとタルト買って半分こしようよ」


「せっかくなので三つ行きません? 私モンブランも食べたいです。やっとあのおかしな部屋から出られた記念に!」


 楽しそうにケーキの話をするふたりは、そのマンションのような建物の一階部分に辿り着く。エントランスをくぐり抜け外に出ると、そこは不思議なことに見慣れた興宮の街であった。魅音と詩音は顔を見合わせて笑顔で軽くハイタッチをし、そのままの足でエンジェルモートに行って三種のケーキを購入した。


 詩音の部屋でふたりは紅茶とともに持ち帰ってきたケーキをつつく。ふたりで半分こして食べるケーキは、いつもより甘い味がするような気がした。ふたりの他愛無いおしゃべりは、いつまでも尽きることがない。やがて、ひぐらしのなく声が聞こえ始めても――。